もうタイトルで終わりそうです(笑)。
直感を無視した顛末
とある職場で働き始めた初日のこと。
「よろしくお願いします」と挨拶をして、一緒に時間を過ごしながら、頭のなかで、「あー、たぶんこの人とは合わないような気がする」という声が鳴っているのを感じました。
その予感はみごとに的中して、その後わたしはその人との関係にだいぶ苦しむことになりました。
それ以来、自分の直感を大事に思うようになりました。
でも、別の人との関係では、時間をかけるうちに「この人大丈夫だ」と感じるようになったこともありました。
そんな経験を重ねているうちに、また新しい出会いがありました。
第一印象で、身体が「ん……この人はムリかも」と言いました。
でも、「きっと付き合いを続けていけば、だいじょうぶだろう」と頭が打ち消します。
わたしは、身体の声を無視しました。
結果的に、しばらくの間かなり痛い目を見ました。
相手が決して「悪い人」だったわけではありません。
ただ、わたしがその人と「”相性が”悪かった」だけなのです。
直感は、経験則の積み重ね
直感は、「なんの根拠もない勘」ではありません。
それは、無意識に蓄積された自分のデータに基づくもの。
自分のなかに積み重なってきた経験や記憶が、「データベース」として反応・判断しています。
「やったほうがいい」
「やめたほうがいい」
「Go!」
「絶対ダメ!」
そういう自分の感覚は、単なる気分ではなく、自分のデータベースに照らして自分が発してくれている「アラート」。
だから、その声を無視するというのは、少しリスクだったりもする。
とはいえ、直感に従うことがいつも正解であるとも言えないと思います。
状況的にどうしようもないこともよくあるし、それに従うかどうかはやっぱり考えたほうがいい。
なので、まずは、直感を簡単に無視しない。
そして、いったん立ち止まり、少し考えてみる。
そうすることで、自分を守り、人とも健全な距離を取って関係性を築くことにつながります。
相性は努力では変えられない
相性の良くない人と、どう付き合うか。
その答えは一つではないし、自分もどうするのがいいか…といつも考えている気がします。
『夜と霧』を書いたヴィクトール・フランクルの言葉を借りれば、わたしたちは状況にたいして「どう対応するか」を自分で選べる自由があるし、また選ぶことを求められています。
もちろん工夫の余地があればすればいいし、その経験は自分の生きるスキルになると思います。
でも自分をあまりにつらい状態に置かざるを得ないのであれば、無理をして関係を続ける必要はない。
影響を受けすぎない場所まで距離をとっていい。
どうしても関わる必要があるのなら、関われそうな範囲まで離れていい。
もしも「だいじょうぶそうかな」と思ったら、そのときにはちょっと近づいてみてもいい。
自分自身の経験からも、他の人を見ていても、相性がよくないものはよくなくて、「相性」自体をなんとかするのはかなり無理がある、と感じます。
なので、結論としては、状況が許すのなら「無理をしない」ということでいいんじゃないかと思っています。
「自分は生きてきた」ことに信頼を置く
直感は、自分のデータベースから発せられる声。
自分が思っている以上に自分の感覚は正直で、「ダメなもんはダメなんです」と、周りの目線や社会規範、目先の利益を気にしている自分に教えてくれる。
その声をあまり無視せずに耳を傾ける、というのはけっこう大事かなと思います。
「直感を信じる」というのは、感情に流されることではなく、自分の経験の蓄積に基づく身体や心の感覚、つまり「自分は生きてきたんだ」ということに信頼を置くということだと思います。
いろいろ頭で考えたりするのが大事なときもあるけど、自分の身体や感覚の声を聴くのもおなじくらい大事なのかもしれないです。
