ちょっとドキッとするタイトルになってしまったのですが……(^_^;)
でも、こういう内容なので、書いていきます。
「自分のことを気にしていると、大事な人のサインを見落とす」って話です。
会話のない夜

ある夏の日の夕食。
いつものようにパートナー(以下、P)と食卓を囲んでいたのですが、なんだかいつもと様子が違いました。
なんだか……会話が続かない。
「あれ……?わたし、なにか変なこと言った……?」
「もしかして、このあいだ誘われたイベントに『行かない』って言ったこと、気にしてる……?」
「でも『行きたくない』って意思表示するって、わたしべつに間違ってないよなぁ……」
など、ぐるぐる自分の中で考えながら、無言でもぐもぐしていました。
当時のわたしは、自分の仕事や将来の方向性に迷っていて、焦りやいらだちを感じていました。それらが、Pへの態度に出てしまっているなぁ、と感じることもありました。また、Pとの共通の趣味で一緒に過ごす時間も、わたしのほうの都合で減っていました。
理由はよくわからないけど、なんだかPはわたしとあまり話したがらないみたい。
「このまま、すれ違っていくのかな……」という不安を感じました。
また、ある瞬間、こんな考えも浮かびました。
「もしかして……もうわたしに興味がなくなったんだろうか……」
そんな不安にさいなまれると、どういうわけか、わたしは昔から、「他の人と会ってみたら?(別のお相手という意味で)」と、相手に“試す”ような言葉を投げてしまうことをしてしまいがちです。
けして「わたしが大切だと言ってほしい」とかナントカ、そんなことを求めているわけではないのですが、その人と一緒にいる自分自身に自信が持てなくなってしまう。だから、相手が自分と一緒にいてくれる“確証”を得たくて、相手を軽く揺さぶり「自分が見捨てられないか」を確認しようとしてしまうのでした。
沈黙の理由

会話が途切れる日々が続いたある夜、Pがふいに口を開きました。
「家族に病気が見つかったんだ」
「それで頭がいっぱいで…… ここ数日気を遣わせてごめんね」
言葉が出ませんでした。
そんな大事なことを、どうして黙っていたの……と思ったのですが、Pは人を心配させるようなことを言いたがらない性格です。「なんで言ってくれなかったの」と言うことはできませんでした。
それ以上に、理由を知った瞬間、驚きと安堵とともに、自分の小ささと情けなさに穴に入りたくなりました。
「どうして、Pが大変なときに、わたしは自分のことばかり気にしているんだろう……」
ここに「安堵」という気持ちが瞬間的に浮かぶのも、いかに自分のことしか考えていなかったか、というのが表れていると思いました。
実は、似たようなことがこのできごとの少し前にもあったのです。
Pが体調を崩したことがありました。それは、Pが趣味で休日を過ごした翌週のできごとでした。
Pに「だいじょうぶ?」と声をかけて心配しつつ、わたしは内心、「遊んでおいて体調崩して、それで結局、家事の負担がわたしに回ってくるなんて……」「そうやって自分のこと中心に考えられる人はいいよなー」と不満を抱いていました。
Pはそれでもいつもどおり仕事に行き、いつもどおり家事を一緒にやってくれたのですが、数日経ってもよくならないので病院で診てもらうと、ウイルス性の感染症の疑いがあるとのことでした。
Pの場合はわりと軽症で済んだほうだったようなのです(もっと重症の人もいるようでした)が、それなりに大変な病気にかかっていたんだ……と、わたしは愕然としました。
「しんどかっただろうに……わたしはなんて狭い見方をしていたんだ……」
自分の不満ばかり見て、「単なる遊び疲れ」と決めつけて(もちろん、遊び疲れでもいいいんです、しんどいことには変わりないので)、相手の体調や大変さに目を向けようとしていなかった。
自分がいかに小さい範囲、自分の中しか見ていなかったかということを、痛感させられました。
自分を気にしすぎると、大切な人を守れない

わたしがこの1年くらい学んできたなかで、「自分のことをさっさと終わらそう」という言葉に出会いました。
そして、わたしはまだまだ「自分のことを終わらせる」ができていないんだなぁということに、この2つの出来事で思い知らされました。
自分の不安や不満ばかり気にしていると、大切な人の“変化”に気づけません。
それは、結果的に「大切な人を守れない」ということだとわたしは思いました。
自分の状態がしっかりしている人ほど、他者の変化に気づいたり、寄り添ったりする余裕を持つことができるし、逆に、自分の中でぐらぐらしていると、相手の小さなサインを見落としてしまう。
自分を整えることは、だれかを守ることにつながっていく。
今回、自分の小ささをここで存分に露呈してしまい恥ずかしい限りなのですがw
「自分のことを気にすること」──その一例は「人の顔色を気にする」や「自分の損得に引っ張られる」──から、できるだけ早く卒業して、自分のまわりの人を大切にできるようになりたいなぁと思います。
