自分のここまでの人生を振り返ると、「やりたいこと」はたしかにあったし、やれそうなことはやったりもしてきました。
まわりからも、「やりたいこと」をやっている、と見えていたと思います。
でも実際のところ、わたし自身はずっと「やりたいこと」を探していたし、「やりたいことがある状態を作り続けようとしてきた」気がします。
「やりたいこと」に向けてがんばっている人が「かっこいい」と思ってたし、「『やりたいこと』がない状態で”漫然”と生きるのは、なんだか『わたしには似合わない!』」みたいに思い込んでた節もあった(けっこう長い間)。
あんまり難しいことを考えずに、シンプルに「やりたい」と思って始めたことも、たしかにありました。
もちろん、その「やりたい」が結果的に続いたものもあったけど、やってみて意外と面白くなくてやめたものもあったし、やり始めたけどやってるうちに周りの評価や「”うまく”やる」ことに目が向いて、「やりたい」と思っていた気持ちを失ったりしたことも、少なくありませんでした。
30代も半ばになり、仕事やそれ以外についても、「やりたいこと」がわりと尽きました。
仕事については、これまで比較的「やりたいこと」を軸に選んで、仕事させてもらってきたと思います。でもいま、転職を考えても、「これがやりたい」と言えるものが見つからない。

たしかに、「これがやりたい」は、ない。
でも、「どうありたいか」と問われると、それはなんとなく、ある。
だから最近は、「やりたいこと」を探すのではなくて、「どうありたい」をどう実現していくかを考える方に時間を使った方がいいんじゃない?と、自分に問うようにしています。
たとえば、「家族との時間が取れて、1年に一回は家族で旅行に行きたい」と思う人は、それを実現できるような仕事を選んだり生活のしかたを組んだりすることができると思います。
わたしの場合は、「自分が自分でいられる時間をできるだけ長くしたい」というのが、望む在り方の一つです。あとは、ちょっと口にするのは恥ずかしいのですが、「自分自身が提供したり生み出したりしたものによって、人に感謝されたい」という欲望があります。
これらを満たそうとすると、「会社員でない方法を探る」というのが一つあると思っていますが、でも、会社員でも心の持ちようで達成できることなのかもしれない、とも思い、考え中です。
「やりたいこと」がある人は、うらやましい。迷いが少ないからです。
でも、「やりたいこと」はなくても、「こうありたい」があると、その実現を考えていくことができる。
そこへの道筋は実にさまざまです。だれも到達のしかたは教えてくれない。
自分もわからないので、色々迷います。でも、「これが自分なりの今のとこの答えかな」と確認しながら駒を進めていく、その感触がわかるのは、やっぱり実は自分しかいなかったりするんですよね。
だから、まぁ正直けっこうつらい。
でも、たぶん、そうやって試行錯誤したり紆余曲折したりするなかでしか見つからないものがあるんでしょう。試していくなかで、ひょんな出会いや出来事が、思わぬ扉を開いていくかもしれない。
そう思うと、「やりたいこと」がない、「在り方」を模索する時間も、まぁ悪くないなぁという気になります。
