チャレンジを避けたら後悔しか残らない

    わたしはこれまで、人生レベルでの「後悔」をあまり経験してきませんでした。

    もちろん、その瞬間瞬間には小さな後悔もあります。たとえば仕事中に「あ、あれ先に言っておけばよかった」とか。でも、人生全体を振り返ってみると、ほとんど後悔というものがありません。

    なぜなら、後悔しないようにそのときどきで自分なりに選択したからです。選んだ後から振り返っても、「当時の自分の状況や状態をふまえて、あのときのわたしにできる限り精一杯考えて選んだ」と思うので、後悔することがほとんどありませんでした。


    それでも、たった2つだけ、人生で大きく後悔していることがあります。

    そして、その2つには明確な共通点があります。


    今日は、自分の後悔の経験から学んだことをシェアしたいと思います。これを読んでいただければ、自分の人生への「後悔」を減らし、「自分が頼れる自分」に近づいていくヒントが見つかるのではと思います。

    目次

    後悔その1:順序を優先しすぎたこと

    学生時代、わたしは国際協力に強い関心がありました。友人と学生団体を立ち上げ、おもにカンボジアに足を運びました。将来は現地NGOで働くか、自分でNGOを立ち上げ、現地の女性が安全に働ける場をつくりたいと考えていました。

    こういう夢を持ったのなら、たとえばそれが実現できそうなNGOを訪問したり面接を受けたりすることもできるはず。でもわたしは行動しませんでした。「新卒でのNGO採用は難しい」というようなことをどこかで聞いて、それで諦めてしまったのです。

    そこで次の手段として、ゆくゆく現地NGOで働く際の2本目の収入の柱として、日本語教師の資格を取ろうと考えました。しかし大学での単位取得は難しく、養成機関に通うには費用と時間の制約があり、短期間かつ最安で資格を取得する試験という方法も、不合格が怖くて選べませんでした。結局「まず一般企業で働き、貯金してから資格を取る」という順序を選びました。

    結果として、一般企業に就職し、1年で退職後、養成機関で学び資格を取得。その後日本で1年半ほど日本語講師として勤務しました。

    しかし、そうしている間に当初の夢―現地NGOで働くことや事業を立ち上げること―はだんだん遠のいていきました。最終的にアジアに事業地をもつ日本のNGOへ転職は果たせたのですが、そのときにはもう現地勤務はおろか、出張にも積極的に行く気持ちを失いかけていました

    いま振り返れば、もしかすると実際に新卒の採用が難しかったにしても、なにかしら近いところで働かせてもらう手段はあったかもしれない。そうすれば、自分で事業を立ち上げたりすることの難しさややりがいも、ひょっとするともっと早くに経験することができたかもしれない。


    自分のやりたいことに直接向かうことを「難しい」と決めつけ、”失敗しないために”順序を優先し、「確実な道」を選んだことで、結局自分がやりたいと思ったことを自分に経験させてあげられなかったのです。

    もしそれを自分にやらせてあげていたら、今頃どうなっていたかなぁ、と今でも思うことがあります。

    後悔その2:安全策を選びすぎたこと

    もう一つの後悔は、転職活動中のことです。

    応募先には事務職と営業職の2つの募集がありました。わたしは営業職を希望していましたが、面接中に事務職も紹介されました。これまでの自分の職務経歴をふまえると、営業は比較的未知の領域で不安がありました。他方で、事務職ならそれなりに経験も多く、「だいじょうぶだな」と思っていました。

    会社として事務職のほうが急募であるという事情も聞き、わたしは、「まず事務職で会社のことを学び、その後営業に移る」という安全策を選びました。

    結果、事務職での仕事は本当にストレスフルで、人生で最も精神的につらい経験の一つになりました。この時期に初めて本格的なうつ症状らしき症状を経験し、「あぁ、こうやってうつ病になるのか」と思ったことを今でも覚えています。さいわい、すでに心理療法に取り組んでいて、かかりつけ医の助けもあったので、うつ病には至りませんでした。

    もちろんその後営業部門に移ることはできましたが、いまでもこの出来事については、自分の当時の判断が正しかったとは思えずにいます。

    結局、自分にとって不確実だった営業へのダイレクトな挑戦を避け、より安全な(と自分としては思った)道を選んだことで、かえって悩みや苦しみを増やし、遠回りをし、その選択をした自分を責め、後悔することになったのです。

    自分が頼れる自分になる方法

    この2つの後悔に共通するのは、ただ一つ
    「ひよった」、つまり「チャレンジしなかった」ということです。

    なぜ、挑戦できなかったのか。

    それは、そのときそのときで、親の期待、経済的制約、失敗への恐怖や恥ずかしさ、周囲の反応への不安など、さまざまな理由がありました。

    そういうのを「理由」にしながら、「やりたい!」と言っている自分にたいして、自分のなかのもう一人の自分が、「だいじょうぶ?」「危ないんじゃない?」「失敗したらどうすんの?」「っていうか、そんなの失敗するって」といった言葉を畳みかけて不安にさせて、より安全な選択肢を取らせようとして、実際わたしはその言葉に従ってしまったのです。


    よく「やった後悔より、やらなかった後悔のほうが大きい」と言われます。

    これ、本当だわ、と思います。

    とくに、自分が「やりたい」と思ったことを自分にやらせてあげなかった場合、その気持ちは成仏せず、「チャレンジできなかった」自分の弱さや情けなさが残り、自分自身への信頼が持てません。



    どんなに小さなことでもいい。

    自分が「やりたい」と思ったことを、ちゃんと自分にやらせてあげる



    ―それが後悔を減らし、「自分が頼れる自分」になる方法です。


    だから、どうか後悔しないために、自分自身が「やりたい」と言っていることを、都合が許す限り、全部でなくても少しでもいいので、ぜひやらせてあげてください。

    それが、人生で後悔しないための最もシンプルで確実な方法です。



    わたしがこの文章を書くのも、自分にとってのチャレンジであり、後悔を増やさないための行動です。ブログを通して発信するのは、わたしには少し勇気のいることですが、自分が苦しんで得たものや学んだこと、もっと早く知りたかったことを、やっぱり「伝えたい」と思うし、伝えることでいま苦しい人が少しでも楽になるといいなと思います。

    少しずつ、小さなチャレンジを積み重ねて、「自分が頼れる自分」に一緒になっていきませんか。



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