「人生山あり谷あり」。人並みに悩んだり苦しんだりしながら生きてきた気がします。
とくに20代の10年くらいは、ほんとにそんな感じでした。
「人生、楽しくない」
どころか、
正直、苦痛でしかない。
行きたい先も見えないし、生きている意味もわからない。
もちろん、その時々で楽しいことがなかったわけじゃない。
でも、それ以上に「生きてるの、しんどいなぁ……」という気持ちの方が
ずっと大きかった。
生きていても、苦しいだけ。
そんなふうに感じていた、なかなかしんどい20代でした。
「人生の意味」とは?

「人生の意味」というものを考えてしまいがちでしたが、
今日まで生きる中で、自分なりに学んだこともいろいろありました。
まず一つ、これはわたしの知り合いからもらった言葉です。
悩みを打ち明けたとき、そのかたがおっしゃったのは、
「そもそも、生きていることに意味なんてないんだよ」
でした。
わたしたちは、生きる意味があって生まれたわけじゃないし、
その意味を探すために生まれたわけでもない。
ただ、生まれてきた。
ただ、生きている。
そして、ただ、生きていく。
それで、いい。
動物は、今日を生きることだけを考えています。
今日食べて、寝る。
野生の動物なら、生きるために他の命を狩り、
同時に、誰かの命にならないように、逃げる。
そして子孫を残す。
それを、ずっと繰り返している。
わたしたちも「動物」なので、その観点から見れば、
この世に生まれて、ただ命を生きるだけ。
それに尽きるということなのかもしれません。
この考え方は、当時のわたしにはとても救いになりました。
すごく腑に落ちたんですよね。
“生きてる意味” を、がんばって探さなくてもいいんだ、と。
とはいえ……

それでもやっぱり考えてしまう、「生きる意味」。
「ただ生きるだけ」でサッパリ生きられるかというと、なかなかそうはいかない。
「生きてる意味あんのかなー」
「なんで自分、生きてんだろうなー」
「人生、ほんとにうまくいかないよなー」
って、何年も何年も
場所が変わっても、付き合う人が変わっても、
ずっとずっと同じようなことを考えていました。
ネットで調べてみたり
本を読んでみたり
友だちに相談してみたり……
そうやって、かれこれ15年近く探しもとめて、
やっと、ようやく、最近、
自分の中で「これじゃないか?」という感触にたどりつきました。
「うまくいく」というのは

ヒントの1つが、坂口恭平さんの『生きのびるための事務』という本でした。
作家、画家、音楽家、そして無料電話相談を自ら行うなど多分野で活躍されている坂口さんが、
お金もなく、就職もせず、「どうしたらいいんだ……」と悩んでいた若い頃。
そのとき、「事務」という考え方を取り入れることで道を見いだしていった。
そんな経験とエピソードが、マンガでリアルに描かれています。
その中に書かれていたメッセージが、わたしの中ですごく腑に落ちました。
“うまくいく”というのは、自分が描いた
「将来の現実」が「現在の現実」になっていること
この本の中では、「事務」とは「量を整える」ということであり、
その中核が「スケジュール」と「お金」の管理だと書かれています。
その中でも、スケジュールの観点でまずやることは、
10年後の自分の「ある一日」を、具体的に24時間で書いてみるということでした。
10年後の自分は、
朝何時に起きて
何をして
どんなふうに1日を過ごしているのか。
できるだけ具体的に、リアリティを持って書き出していくことで、
紙の上に自分の「10年後の現実」が浮かび上がる。
そして、その「未来の現実=理想」に、いまの日常を少しずつ近づけていく。
そうして、10年経ったときに、
自分が描いた将来の一日(現実)が、現実の一日(現実)になっている。
それが「自分の人生」という単位で見たときに、
「うまくいく」ということだ、と。
あくまで、わたしが本から解釈した理解にはなりますが、
この考え方は、実は別の学びとわたしの中でピタッと重なりました。
「うらやましい」と思われる人たちがやっていること

わたしたちはどうしても、
・「あの人はすごいな」
・「お金もあって、活躍してて、好きなことやってて、周囲からも好かれてるしな」
・「自分もあんなふうになれたらいいな」
なんて、思ってしまうことがあります。
というか、少なくともわたしはホントまじでそんなことばっか考えてました。
でも、それって全部、「自分の外の指標」なんですよね。
つまり、他人と比べている。
でも、そうじゃなくて。
「自分の人生を歩く」というのは、
”自分がこうありたい”に
自分自身がどれだけ近づいていけているかどうか。
わたしたちが「すごいな」「うらやましいな」と感じる人たちは、
きっとその人なりに、「自分はこうありたい」という像を持っていて、
そこに向かって、自分の時間もお金もエネルギーも注いでいる。
そうして、自分の「こうありたい」にひた走っている。
だから、かっこよく見える。
なので、他人の姿をうらやましく思いたくはなるけど、
「自分が将来ありたい姿は?めざしたいゴールは?」
というところを立ち止まって見直すことが、
なによりの出発点になる。
「どんな1日を過ごしていたら、自分はしあわせ?」
と、足を止めて、考えてみる。
他人を見て「自分もあんなふうになりたい」って思うなら、
「”あんなふう”って、どんなふうになりたいの?」
と、自分に問いかけて言葉にしてみる。
そう問いかけると、どういうことを自分が望んでいるのかが見えてきたり、
実は思っていたほどにその人がやっていることがやりたいわけではない、
ということに気づいたりするかもしれません。
そして、自分で描いた「将来の現実」に向けて、歩き始める。
歩き”始めれ”ば、OK。あとはそれを、ただ続けていく。
歩いていく。向かっていく。
最終的に、自分が据えたゴールへの距離が縮まっていって、たどりつくかもしれないし、
もしかしたら、たどりつかないかもしれない。
もちろん、たどりついたらいいんだけど、
でも、「たどりつくかつかないか」に重きを置くのではなく、
たどりつきたいところに「向かっていること」それ自体が大事であり、
それがつまり、「自分の人生を歩む」ということなのかな……
と、そんなふうにわりとしっくりきています。
「向かっている道のりが人生」ならば……
坂口さんの本や、学んできたことが結びついたとき、
「これなら、わたしにもできるかもしれない……!!!」

って、なんだか力が湧いてきました。
だって、ゴールを決めるのは、自分だから。
誰かみたいにお金持ちにはなれないかもしれないし、
誰かみたいに目覚ましい活躍もできないかもしれないし、
誰かみたいに何かを極めることもできないかもしれない。
でも、「わたしはこうありたい」と思う未来を先に据えて、
それに向かって歩く、というのは、たぶん、できなくない。
結果的に、ゴールが達成されるかどうかはやってみないとわかりませんが、
少なくともそこに向けて「歩いている」、それだけで、
「あぁ、人生、いま、絶好調」
って思っていいんじゃないかな、と思いました。
だから、他人と比べて「どうなりたいか」を探すんじゃなくて、
他人を見て「あぁなりたいなぁ」とうらやましがって終わるのでなくて、
自分はどこに行きたいのか?
をじっくり問い直して、
ゴールを決めて、
それが「将来の現実」になるように、積んでいく。
これが、
「人生の意味」かはわかりませんが、少なくとも、
「自分の人生を生きていく」
ってことなのかなと、今のところはそう思っています。
でもね……

その「自分がどこへ行きたいのか」が見つからない
というのもまた、悩ましいモンダイとしてあると思います。
またそれについても、別記事で書いていきたいと思います。