「大人」とは?



たとえば10代、高校生の頃って、大学生がすごく「大人」に見えたりしてました。

で、大学生になったらなったで、今度は働いてる20代の人がすごく大人に見えた。

だけど、いざ自分が大学生になり、就職して働くようになり、30代になり……

と、年を重ねても、




「いつ自分は大人になるんだろう?」と、

ずっと思っている(笑)





30代になって、自分より年齢的が若い人と働く機会が増えると、

「この人、すごい大人だなぁ」と感じる人もいます。




だから、「大人」って単純に年齢じゃない、と思います。





じゃあ、「『大人』ってなに?」「『大人になる』ってどういうこと?」





というのを考えてみると、



年齢は、違う。

経済的な自立、、、、でもない

仕事をバリバリこなしている、、、、違う

家庭を持っている、、、、、これも違う







どれも「これだ!」という決め手にかける。










いろいろあるとは思うんですが、

自分なりに考えてきて、つまるところ、





ということなのかな、と今は思っています。




具体的には、

 「ご機嫌ナナメ」なときの対処法を、自分で知っていて実行できる


 そもそも自分が「ご機嫌ナナメ」にならないように自分で工夫している


 そもそも自分が「ご機嫌」になる方法を知っていて、実行できる




そういうこと。



たとえば、

 どうしたら自分自身をアゲられる?

 なにをしていれば/どういうモノに囲まれていると、自分は幸せ?

 どんな環境・場所を「心地よい」と感じ、逆に「心地よくない」と感じる?

 自分はなにが好きで、なにが好きじゃない?

 「これ得意かも」「やっていると楽しい」「活き活きしてんな自分」と思える瞬間は?

 どんな人と一緒にいると、居心地がいい?楽しい?



そういうことを、自分自身が知っている。



そのうえで、

自分が「よくなっていくほう」のものを、できるだけ選び、

「そうでないもの」をできるだけ避けていく。



仕事選びも、同じだと思います。

自分が得意なこと、サクサクできること、ストレスが少ないこと。

あんまり長時間は働けないな、とか。

一緒に働く人が気持ちいいとか、職場の雰囲気が大事、とか。



基準や優先順位は人それぞれですが、

自分が「ご機嫌ナナメ」になることは、自らできるだけ選ばないようにする。





もちろん、どうしてもやらないといけないことや、そこにいなきゃいけない場面もある。

それでも、その中での

「あり方」「振る舞い方」「付き合い方」を、

自分なりに工夫して、自分にとってできるかぎりいいかたちを選んでいく





それができると、自分の中にとても安定感が出てくるのかなと思います。




まだあるよね、大事なこと。



それは、





「他人の機嫌は気にしない」




ということ。




「他人の機嫌に影響されちゃう人」っていますよね。




………あ、はい、わたしのことなんですけどw






けっこう人の顔色を見てしまいます。

たとえば、近くに怒っていたり機嫌の悪い人がいると、

「なんかしたかな……」
「なんでこの人、こんなに不機嫌なのかな……」

と気になってしかたがなくなる。

そして

「今近づかないでおこうか……」
「ちょっと刺激にならないように話しかけたほうがいいよな……」


と、それに合わせようとしてしまう。





でも、他人の機嫌が悪いことは、わたしには関係ないんですよね。

アドラー心理学で言う、「課題の分離」というやつです。


つまり、

「相手の課題」と「自分の課題」を、きちんと線引きしましょう

という考え方。




たとえば、イライラしている人、怒ってる人がいたとき。

それは基本的に「相手の課題」です。


仮にもしかしてわたしがなにかしたことで怒っていたとしても、

「怒る」という「選択」は相手のもの(実際は無意識で感情が湧いていると思いますが)。


わたしは「相手の怒り」をコントロールできないし、

「相手が怒る」こともわたしの力では作れません



だから、その人が怒っているというのは、「その人の課題」なんです。




でも、たとえばそれを見て、気にしたり心配したりするのは、「自分の課題」

どれだけ相手の態度や表情がきっかけになっていても、

それに反応しているのは「自分」なんです。



だから、わたしはわたしで、反応している「自分の課題」を考える必要がある。




そういうわけで、「相手の課題」と「自分の課題」をきちんと分けるというのは、

人の顔色が気になる村の人間にとっては、

「自分の機嫌を取る」うえでマストな力だなと思っています。




もっと根っこの部分で言えば、






そもそも「自分」と「他人」は違う存在であるということを知っていて、

そのうえで、相手に敬意を払うという姿勢

相手を見下したりするのでなく、ちゃんと「その人」の存在に敬意を払う



そういう、基本的な人間関係のあり方、というところにも

落ち着いていくのかなと思います。







「自分の機嫌を自分で取る」といっても、

単に「イライラを人にぶつけない」みたいなシンプルな話だけじゃなくて、

「それを支えるいくつかの土台」というものがある。

それらを自分の中で丁寧におさえていくことが、

ゆっくりと、自分で自分の機嫌を取ることにつながっていく。

そういうことなのかな、と思っています。





昔に比べれば、だいぶできるようになってきたかな、、、とも思いますが、
でも、まだまだ、自分はすごいへたくそだなぁと思っています。


イライラが顔に出ちゃうこともあるし。


そもそも、「自分が居心地いい場所や環境を知ったうえで、主体的に選んでいく」
というのが、へたくそだったり。


結局は、、、、





「自分を知っていく。そして、理解していく」




というところに、立ち戻ることになる。





それが、最終的に「自分で自分の機嫌を取る」というところに

つながってくるように思います。








なので、表には見えない、だけどしっかり下支えするような部分を、

自分の中で少しずつ整えていけたらいいな…….


と、思っています。

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